山本一郎氏が絶賛する『みんなちがって、みんなダメ』とは
『君たちはどう生きるか』を読むとバカになる理由
■みんなちがって、みんなダメ
ミミズなのにヘビだと勘違いしているから不幸になる。でも、世間では逆のことを言います。「あなたは本当はタカなのにヒヨコだと思っている」などと言って自我を肥大させることで、かえって人は不幸になるんです。
ただし、これが逆だとお金は儲からないんです。「あなたはヘビではなくてミミズだ」「タカではなくてヒヨコだ」と言っても、みな喜びません。あなたはすごいんだ、バカじゃないんだと言われるから喜んでお金を出すんです。それが自己啓発などのやり方です。
「あなたは世界に一つだけの花だ」とか「みんなちがって、みんないい」とか言われれば悪い気はしません。でも、それは大きな勘違いです。本当は「みんなちがって、みんなダメ」なんです。だって、みんなバカなんですから。
でも、みんな自分がバカだと認めたくない。ダメだと思いたくない。それが問題なんです。ほとんどの人間はバカなんです。「本当は自分はバカじゃない、世界に一つだけの花なんだ」という思い込みこそがバカを不幸に追い込むんです。だれもが「世界に一つだけの花」というより「世界に一人だけのバカ」なんです。それを認めることがだいじなんです。
べつにバカでもいいんです。「バカは死ななきゃ治らない」といいますが、イスラーム的にはバカを治す必要はありません。たいていは治りませんから、むしろ「バカは死んでも治らない」が正しい。でも、バカだからといって天国に行けないことはありません。逆に、あんまりバカだと責任無能力者になるので、無条件に天国へ行けます。
イスラームでは、基本的に知識とか賢さも含めて、すべては預かりもの(アマーナト)なんです。ただし、それを正しく使わないと、むしろ地獄に行くことになる。どんな力もすべてもっていればもっているほど責任が重くなる。責任と能力はそのまま比例する。能力が大きいほど責任が重くなるというのが基本的な考え方です。だから何もないのがいちばんいい。貧しいほうが責任が少ない。預かりものが少なければ、責任もあまりない。そのほうが気楽に生きられるんです。
ただし、この場合の責任というのは、社会的な責任ではなくて神の前での責任です。イスラームでは最後の審判で、与えられた能力を何に使ったかを問われることになっています。あなたは、与えられたこういう能力を何に使いましたかと聞かれます。正しく使っていれば一応天国に行けるし、間違って使っていれば地獄に落ちる。
イスラームでは、人間が責任を負わなくてはならないのは神だけです。神に対して以外は一切責任はありません。神から命じられた場合にのみ責任が生じるわけです。たとえば、親が子どもを育てる責任があるというのは、神がそう命じているからです。それも最終的には全部、神に対する責任になります。
ちなみに子育てに関していえば、イスラームでは女性には子どもを育てる責任はないんです。責任があるのは男親です。もちろん女親がやってもかまわないのですが義務ではない。女親がやらなければ男親は乳母を雇うという形で責任を果たす。乳母を雇うお金がなければ、夫婦でなんとか協力してやるしかない。最終的に責任は男にあることになります。
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